1979年生まれがインターネットに出会うまで
id:haruna26 さんの「デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話」という記事を読んで,1979年生まれがインターネットに出会うまでの話を書いてみようと思った.
1979年生まれ.イラン革命,初めての共通一次試験,ドラえもん放送開始,ウォークマン発売,サッチャー英首相就任,江川のプロデビュー.朴正煕暗殺,江夏の21球.金八先生放送開始,レコード大賞受賞曲はジュディオングの「魅せられて」どれも覚えていないけど,その残滓の中で幼年時代を過ごしたのは確かだ.物心ついた時の世界の首脳は,レーガン,サッチャー,中曽根だったし,黒柳徹子が司会をするトップテンをぎりぎりで見た記憶がある.
覚えている大きな最初の事件は,1985年のグリコ森永事件.幼稚園に通いながら,お菓子が食べられなくなる心配をしてた.お菓子が透明フィルムとはがしたらすぐ分かるシールで厳重に包まれるようになった.戦隊ものはチェンジマン,フラッシュマン,でも,スピルバン、ジャスピオンなんかもよく見てた.幼稚園の頃は,友達と遊ぶなら戦隊もののごっこ遊び.ドラえもんは映画もアニメも大好きだった.
再放送でやってたアニメは,いろいろ見た気がするな.魔法使いサリー,妖怪人間ベム,怪物くん,アタックナンバーワン.ルパン三世や北斗の拳も見た.聖闘士星矢は多分リアルタイムで見た.でもなぜかドラゴンボールに馴染めず,今に至るまでほとんど見ていないしキャラクターも知らない.ジャンプはみんな読んでたけど,けっきょく自分は,一度も買ったことがない.それから,キョンシーが流行った.小学校の休み時間は,みんなお札を付けて手を前に出してジャンプしてた.これもどういうわけか,自分は興味が持てなかった.
自分の世代は,ファミコン,スーパーファミコン,PCエンジン,ゲームボーイ.ゲーム機の進化がもろに自分の成長に重なった年代.8bitから16bitになって,3Dになった.スーパーマリオ,ドラクエ,ストリートファイター.ほとんどのクラスメイトはゲーム機を持っていて,ドラクエ3の発売日なんかは大騒ぎだった.でも自分のうちは,ゲームを買ってもらえなくてこういう話題は話に聞くだけだった.
ビックリマンチョコも流行った.皆がシールを交換したり,光るシールを自慢してたりしてた.学校で「お菓子も捨てずに食べよう」と言われたり,ビックリマンチョコの禁止令が出たりした.お菓子屋に行っても,店頭から隠してあったりした.けっきょく自分は一度も買わなかったのだけれど.
どういうわけか自分を引きつけたのはトランスフォーマーというアニメ.車や飛行機がロボットに変形するというアイディアが気に入って,ほとんどその仕組みを解明するために,ロボットのおもちゃをいくつも買ってもらった.それだけではもの足りず,紙工作でロボットを作ったりもしてた.
ジャンプにもテレビゲームにも馴染めなかったせいで,自分は,自分の世代のメジャーな文化には触れていない.小学生の頃から寺社仏閣巡りをしたり,城を見に行ったりしてた.親に頼んで,京都や奈良に旅行に行ったり,お城を見に行ったりしていた.NHK大河ドラマも好きだった.独眼竜政宗,武田信玄,春日局は全部見た.「梵天丸かくありたい」とか覚えてる.
UFOとか宇宙人とかは,人並みに好きだった.宇宙人は既に地球に来ているという衝撃的な内容の矢追純一の番組は,いつも見て怖がっていた.ノストラダムスの予言も知ってたけれど,それほど心に響かなかった.どういうわけか,中学生になってから再び矢追純一にはまって,本を何冊も読んだ.この経験で自分はこの手の(とんでも?)本に飽きてしまって,大学生になって流行った「神々の指紋」とか「東京の地下鉄の謎」みたいなのには全く食指が動かなくなった.
1989年の頃の熱狂はよく覚えている.天安門事件,ブッシュとゴルバチョフという米ソ首脳のマルタ会談,ベルリンの壁,ソ連のクーデターと崩壊,全部テレビにかじりついて見続けてた.それまでテレビのニュースは「べーそ・べーそ」って言ってたのに,こうもあっけなく国がなくなってしまうのかとびっくりした.ニュースでやったことが,次の年には社会科の教科書にも載っていた.天皇陛下の崩御と平成のはじまりもずっとテレビで見ていた.大喪の礼,天皇の即位,大嘗祭.旅行とかお祭りとかの自粛がブームだった.大橋巨泉の「こんなものいらない」って番組でも「自粛」を取り上げてたけど,それは海外の観光地日本人のおかげで潤っていて,どこも日本人に来て欲しいと思っている,っていう前提だった.湾岸戦争もこの頃だったかな.戦争がTVゲームのようになった,みたいに言われていたけど,自分にとってそれが初めて経験する戦争で,日々の戦況をTVでみれるのが当たり前だと思ってた.
バブル景気はよく分からなかったけど,車好きの小学生には,モデルチェンジするたびに車が大きくなって高くなって,近所のガレージにも3ナンバーの車が目立つようになった感じはよく覚えている.デート目的のスポーツカーや必要以上にいかつい4WD車.そんな車に大きくなったら自分も乗るのかな,と漠然と思ってた.
日本車がアメリカに受け入れられてゆく感じもよく覚えている.クラウンみたいにいろいろな装備を着けるのではなくて,セルシオのようなシンプルに車本来の性能を向上することが海外では高級車なんだ,と思った,ブッシュ大統領がアメリカの自動車メーカーの社長を連れて日本に来たのもこの頃.テレビの中では,貧しいアメリカ人が日本車を叩いたり壊したりしてた.
父の仕事のせいでパソコンがうちに来たのは早かったけど,自分に使えるものだとも思わなかったし使いたいとも思わなかった.父がたまにワープロで仕事の続きをするくらいだった.でもなぜか,小学生の頃から電子手帳は持っていた.シャープのPA-7000, PA-9500, Zaurus.住所や本のデータベースを作ったり,友達と名刺交換をしてた.
自分が住んでたのは,静岡県の小さな地方都市.田舎町だったけど,小さな店,商店街の店,普通に元気だったし,生活の一部だった.駄菓子屋が何軒かあって,小学生の頃は家に帰ると友達と自転車でどこかの駄菓子屋に行った.そういう店は,自分が小学生だった間に軒並み閉店してしまった.中学生くらいになると,駅前の大型店が潰れて,郊外に大きな駐車場のあるショッピングセンターが出来るようになった.町の形が少しずつ変わって,マクドナルドやファミレス,大型電器店が郊外の国道沿いに次々と建つようになった.
90年代前半は,TVニュースは政治改革の話ばかりを報じていた.自民党政権が倒れて,細川政権が誕生したのもこの頃.その後新進党が出来たり,社会党の首相が誕生したり.ニュースステーションなんかのメディアを通して,次に何が起こるのかを毎日楽しみにしていた.この頃自分が見てたは政治じゃなくて政局だったというのはあとから知ったこと.国会のゲームはTVで見られる最高のショーだった.
1995年は,強烈な年だった.自分にとっては中学から高校に上がる年で,親しかった友人と別れる年でもあった.この年は,明けてすぐに阪神大震災があって,その後はオウムのサリン事件やその後の捜査の話題でいっぱいだった.連日テレビに,オウムの幹部と弁護士が出てよく喋っていた.友達と立てていた卒業旅行計画も,関西を通過するのが難しくなって東北方面に切り替えた.でも,サリン事件の翌日に東京を横断して東北に向かった自分たちは,今にして思うと本当にのんきだったと思う.青森の津軽半島を一周して,まだ旅館営業をしていた太宰治の生家なんかを見て回った.
高校生の3年間はほとんど覚えていない.ただ大学入試の合格にしか価値を見出さない高校に3年間通い続けることに心底うんざりしてた.誰もパソコンを持ってなくて,誰もインターネットを使っていなかった.自分はWindows 3.1 が動くパソコンを買ってもらったけど,ダイヤルアップはさせてもらえなかった.だから本ばかり読んでいた.インターネットは,ASCIIやDOS/Vマガジンの記事に載る,Webのキャプチャー画面でしか知らなかった.小室哲哉や安室奈美恵が流行ったり,女の子がみんなルーズソックスをはき始めたのもこの頃.テレビはほとんど見ていないから,ドラマも芸能人も知らない.ただ数ヶ月に一回,むさぼるようにテレビを見る日があった.キンキキッズという同年代の男の子たちが出ていて,彼らの喋っている言葉がうまく聞き取れなかったのがショックだった.「僕的には」って言ってた気がする.尾崎豊のデビューの歳を越えて,小学生もいたSPEEDが出てきて,何となく自分の世代の時代は終わったような気がしていた.
SFCに入ったのは1998年.100台以上並ぶワークステーションを見て,これがインターネットなんだと思った.どこか遠いところにあってそこに繋ぎに行くものではなくて,コンピュータがいっぱいあって,それが繋がって出来るのがインターネット.CNSガイドを手に,UNIXのコマンドを一つづつ試して覚えたのもこの頃.テレホーダイの時間になるとアパートから毎日ダイヤルアップして,友達が運営する掲示板に入り浸っていた.いろいろと教えてもらいながら,夜更かししてアングラなネット文化を覗いていた.友達といっても面識はなくて,本当ならば友達の友達という関係.ずっと後に会うことになって初めて電話した時は,十分打ち解けてるはずなのになぜか緊張した.
大学生の間,携帯はずっと持っていなくて,データ通信にも使えるPHSを使ってた.Librettoという小さなノートパソコンをいつも持ち歩いていた.周りは誰も携帯メールを使ってなかったし,携帯Webなんて遅くて画面も小さくて,使い物にならないと思ってた.そんなところでビジネスやコミュニケーションが広がっていたなんて,ずっと後になるまで知らなかった.短いメールをいくつも交換して会話をするような経験もほとんどしていない.自分はけっきょく携帯電話に馴染めなくて,メールもWebもほとんど使わなかった,ずっと後,2008年にiPhoneが発売されてようやく,自分に使える携帯端末が出てきた.
自分がインターネットと出会ったのは1998年,18歳だった.その時のインターネットは形のあるもので,目に見えるものだった.今,その一部は「クラウド」となって全く見えなくなってしまったけど,その向こうには,自分が初めて見た「インターネット」みたいな風景が広がってるんだろうな,という確信は揺るがない.高校生までインターネットも携帯電話もない生活を続けていたから,未だにそんなのに囲まれた思春期を想像できない.楽しいこともあるだろうけど,ネットが加速するコミュニケーションは,よくないこともたくさんもたらすだろうな,と漠然と思っている.そんな世代と自分とが,同じ時代に生きて会話をしていることを,今でも不思議に思っている.
How to build libproj for the iPhone OS
libproj is a popular library for open source GIS applications.
In the following, I will mention how to build PROJ.4.7.0 for the iPhone OS.
1. Execute ./configure on Mac command line
2. Import src directory to your iPhone Project. iPhone App cannot use dynamic link.
3. Copy epsj file in nad directory to the root of your iPhone Project.
3. Delete utility programs. (proj.c, cs2cs.c, nad2nad.c, nad2bin.c, geod.c)
4. Replace
5. Modify pj_open_lib function in pj_open_lib.c file.
You need to modify to read epsj file with the iPhone OS manner.
You can download quick hacked pj_open_lib.c in the following URL.
iPhone開発 Interface Builderの利用方法
ようやくNDAが解除されるようなので,6月頃に研究室内で使ったiPhoneのInterface Builder周りについての資料を公開します.SDKを立ち上げてスケルトンのプロジェクトを作成したけれど,既にファイルがいくつも作られてそれぞれがどういう関係になっているのか分からない,という状態の時に,一つ一つのファイルの意味を読み解きながら作った資料です.iPhone Application Tutorialで説明されているアプリケーション作成手法を追いながら,Interface Builderの使い方やxibファイルの追加の仕方などを説明しています.ちなみに,2.0のベータバージョン段階での説明なので,ドキュメントやライブラリなどが既にアップデートされているかもしれません.その後iPhoneプログラミングに逃避できなくなってしまって,アプリケーション作成は中断中です.はやくD論終わわらせないと..
http://www.ht.sfc.keio.ac.jp/~niya/doc/InterfaceBuilder_for_iPhone_development.pdf
http://www.ht.sfc.keio.ac.jp/~niya/doc/HelloInterfaceBuilder.zip